三遊亭楽天のダンスブログ

元・ダンサーの落語家・三遊亭楽天がダンスについて語ったりするブログです。

2018年06月

昔の事を少し書いてみよう、と思う。



私の母はビートルズ世代で、洋楽が大好きだった。
私が物心ついた頃、常にラジオのFM曲から洋楽が流れていた。
フリオ・イグレシアス、アース・ウィンド&ファイアー、シック等を子守唄代わりに聴いて育った。

私が幼稚園に通うようになると、高校時代に社交ダンスをやっていた母は、地元の集会所で行われていたジャズダンスのレッスンを習い始めた。

母が出演する発表会を観に行ったり、スタジオの隅でレッスンが終わるまで待っていたりする度、
「のりくんも踊りなよ」
と言われるのが厭だった。
酷い人見知りだった私は、ダンスどころか気の許せる人以外と喋る事すら出来ない子供だった。
人前に出る事すら考えた事も無かった。

映画や芝居、落語など様々な舞台を観に行ったりもしたが、自発的に何かをやってみたいと思う事は無かった。

母の友人の子が通っているからという理由でリトミック教室に通わされたのは、小学校三年生の頃。
とにかくリズム感皆無、運動神経皆無の私にとって、リトミック教室は苦行であったのだが、ある日、先生がビデオでマイケル・ジャクソンの『スリラー』を見せてくれた。



物凄いショックを受けた。
何だ、これは!?
ミュージカルとも違う、ダンスなんだけど今まで見た何よりもカッコ良かった。
ただ、やはり自分にやれるとは思ってもみなかった。

以来、しばらく音楽やダンスから興味が離れ、元々大好きだったゲーム、漫画、アニメ、特撮、本にドップリ浸かり、オタク街道まっしぐらとなる。

中学生の頃、幼稚園の頃からの親友・よっちゃんがTMネットワークのアルバム『CAROL』をくれた。
CAROL-A DAY IN A GIRL’S LIFE 1991-
TM NETWORK
エピックレコードジャパン
1988-12-09





それまでテレビの歌番組は観てても、このアーティストのこの曲が聴きたいという聴き方で音楽を捉えておらず、ただ漫然と聴いているに過ぎなかったが、特定のアーティストのアルバムを手に入れた事で、音楽に対する興味がやたら湧いてきた。
当時、同じマンションの真上の階に住んでいた先輩がB’zのアルバム『RISKY』を貸してくれたりして、次第に音楽に目覚めていった。
RISKY
B’z
BMGルームス
1990-11-07

同級生にブルーハーツをカセットにダビングしてもらったり、姉のカセットテープを借りたりして様々な音楽を聴きまくった(父親から古今亭志ん朝師匠のテープを無断拝借して聴き始めたのも、この頃)。
中学を卒業する頃には、高校に入ったらバンドを組もう!という話が、私と友人たちの間で出た。

また、高校入学前の春休みに件の先輩が部活の自主公演に誘ってくれて、その舞台に非常に感動した私の心の中に、人前に出たいという願望がフツフツと湧いてきた。

高校に入学し、それまでの反動からか、いわゆる「高校デビュー」というヤツで、仲良くなった外部生に声を掛けまくったりした。
10年生(高校1年生)の頃は演劇部や音楽部(合唱部)で忙しくてバンドが組めなかったが、11年生になり「Virgin」という名前のバンドを結成した。
私はジャンケンで負けてベースとなった。
img016
高校生の頃の私。

放課後スタジオを借りて練習したり、学園祭でライヴを行ったりしたのだが、「音楽性の違い」によりあえなく解散となった。
私にはその頃、「ヴォーカリストになりたい!」という願望があったので、ヴォーカルスクールとダンススクールに通い始めた。
大好きなB’zの『EASY COME,EASY GO!』やTMN『RHYTHM RED BEAT BLACK』のPVの影響である。



この数年後にまさか安室奈美恵やDA PUMPの様なダンスヴォーカルグループが流行る事になるとは、夢にも思わなかった。

私のダンスの先生は母と姉の友人で、TMNのPVに出演されていた田畑幸一先生。
キレのあるカッコいいジャズダンサーである。

当時の私は、ダンスにジャンルがある事すら知らなかった。
漠然と「trfのSAMさんみたいなダンスがやりたい」とは思っていたが、それはそういう振付であって、男の先生に習っていれば、いずれそういう振付が習えるだろう、と考えていた。

よく学校の廊下にある鏡の前で一人、ピルエットなどの練習をしていた。
「田中ァ、何踊ってんだよ?」
とからかわれる事もあった。
あの当時、まだまだ「ダンスは女性のもの」という風潮で、男のダンサーというのはごく少なかったのである。
しかし、母親から「タバちゃんっぽい動きになっていたね」と言われたり、綺麗にターンが廻れる様になってくると嬉しくなって、次第にダンスそのものにハマっていった。

「将来、俺はダンサーになる!」
そう思った私はヴォーカルスクールをやめて、ダンスレッスンを増やした。
ファストフード店でアルバイトをしながら、放課後はダンススクールに通った。
12年生になり、当時付き合っていた恋人と別れ、落ち込んでいてもダンスのある毎日が楽しかった。

そろそろ進路を決めなければならない。
クラスメイトは大学受験に向けて頑張ったり、それぞれの未来に向けた目標を掲げ始めていた。
私の想いはただ一つ。「ダンスで喰っていく」これしか無かった。
しかし、当然の事ながら両親にその想いを打ち明けた時、反対された。
母は特に、様々なダンサーたちを見て来た。
男のダンサーたちが喰いっぱぐれているのを、たくさん見て来たのだ。
父は頭ごなしだった。
大学進学、そしてサラリーマンという考えの父は、私の生き方に強い不安を感じていた。

しかし、当時の私には根拠の無い自信があった。それが若さなのかも知れない。
しかし、その根拠無き自信のお陰でか、両親を渋々ながら納得、というか、
「もう知らん、勝手にしろ!」
という有難い御言葉を頂戴する事に成功した。

母はそれでも、せめて多少進路に幅を持たせようと思ったのだろう、ある日、新聞に掲載されていた俳優養成所のオーディションの広告を見せてきた。

「お前、俳優にならなくても、歌とか習っておけば多少は潰しが効くかもしれないし、芸の肥やしにはなるんだから」
そんな事を言われて、オーディションを受ける事にした。
将来は絶対ダンス一本で喰っていく!と豪語していた割には、そうした言葉に心が揺れる。私の行き当たりばったりな性格を、親は見抜いていたのだろう。心配するのも無理は無い。

オーディションの結果は合格。
私はその俳優養成所で演技、ダンス、殺陣、歌唱、パントマイムのレッスンを受ける様になったが、大好きな田畑先生のレッスンは丁度曜日が被ってしまい、通えなくなってしまった。
悔しいが、養成所を選択した。

養成所でのレッスンは全て無難にこなせた。
10年生から演劇部と音楽部、11年生からヴォーカルスクールとダンススクールに通っていたのだから、多少の下地が出来ていた。
しかし、レッスンを無難にこなせても、面白味が無ければ表現者としては失格だ。
当時の私はそんな事はまだわからず、自信を持って臨んでいた様に思う。

高校、バイト、養成所というサイクルに満足していた。

続く

※この記事はかつてダンサー時代のブログに投稿した記事を加筆、修正したものです。
http://dancernorimitsu.blog94.fc2.com/blog-entry-60.html

ダンサーの古谷仁くんが編集長を務めた『ripple room』を御恵贈に預かりました。
まずは出版、おめでとうございます!
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私・三遊亭楽天もissue 2 HIPHOP & HOUSE STYLEの特集として寄稿させて戴きました。
是非、お手に取って戴ければと思います。
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かなり読み応えのある、面白い本です。
ISBNもついているので、本屋さんでも取り寄せ可能です。



【 ripple room リリース 】
●オンラインストア
https://www.rippleroom.jp/

●取り扱い書店一覧(2018年6月18日現在)
・代官山 蔦屋書店(最寄駅:代官山駅)
・中目黒 蔦屋書店(最寄駅:中目黒駅)
・HADEN BOOKS(最寄駅:表参道駅)
・ROUTE BOOKS(最寄駅:上野駅)
・本屋 B & B(最寄駅:下北沢駅)

※各店舗により取り扱いが異なります。詳しくは、各店舗へお問い合わせの上、おたずねください。

●本詳細
『ripple room』
ストリートダンサーの表現と生き様(時間性)を題材にしたインタビューアートブック

『ripple room issue.1』- OLD SCHOOL STYLE - (ISBN978-4-909720-00-9)
¥2,700(¥2,500+tax)/ 136pages / 210 × 250 m / color / Perfect bound / Printed in Japan

『ripple room issue.2』- HIPHOP & HOUSE STYLE - (ISBN978-4-909720-01-6)
¥2,700(¥2,500+tax)/ 126pages / 210 × 250 m / color / Perfect bound / Printed in Japan

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